アプトの道 横川駅~めがね橋 峠の湯~碓氷湖~めがね橋~旧丸山変電所 |
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休日お出かけフリー切符(2670-)を利用して・・・常磐線で上野駅から高崎線(普通)で高崎駅で信越本線(普通) [横川行き] で横川駅に到着して鉄道文化むら~出入園料+トロッコ列車(片道900-)で峠の湯で降りてからアプトの道を歩く・・・約
1Kで碓井湖の入口 そして 約 1,1Kで、碓氷めがね橋に到着しました。見学の後 再度 折り返し アプトの道を歩いて碓井湖で一周して峠の湯へ~峠の湯から帰りはアプトの道を歩いて旧丸山変電所(国重要文化財)を見学(内部公開)してから再度
アプトの道を歩いて・・・横川駅 ちょうど紅葉時期でめがね橋・碓氷湖・アプトの道も綺麗てした・・・ めがね橋・国重要文化財 |
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アプトの道は、明治26年の開通から昭和38年の新線開業まで、70年間使われた信越本線の、貴重な鉄道の歴史や数々の思い出を残して、鉄道ファン、沢山の人々に惜しまれながら廃止された・横川~軽井沢間(碓氷線)の一部で、JR横川駅からめがね橋~熊の平駅までを遊歩道として整備した道です。めがね橋から5号隧道・・・3号隧道を出て碓氷湖(昭和32年(1957年)に砂防事業の一環として建築された人造湖です。)を、散策してからアプトの道(2号隧道が)へ戻って進むと第1隧道の上に(旧中山道が)そして、第1隧道を出てから進むと右に北原白秋の歌碑、そして進むと峠の湯に、ひと休みして(峠の湯まで横川からトロツコ電車が出ています)アプトの道を進むと「旧丸山変電所」へ・・・旧丸山変電所は、明治45年(1912年)碓氷線を走る機関車の電化に伴い造られたが、昭和38年(1963年)の新線開通で丸山変電所は,その役割を終えて廃墟同然でしたが、日本の近代化に貢献した鉄道施設の価値が認められて、平成6年(1994年)に国重要文化財に指定された。妙義山などを見ながらアプトの道、終点・・・碓氷峠鉄道文化むらへ | ||
めがね橋・国重要文化財・・(碓氷めがね橋は、高さ31.39m、長さ91.06mという巨大なアーチ橋で建造に要した煉瓦は約203万個、見上げるとその重量感あふれる威容に圧倒される) 旧信越本線の碓氷第三アーチ 1、建設 明治25年12月竣工 2、設計者 イギリス人 パゥネル技師 日本人、古川晴一技師 3、構造 煉瓦造アーチ橋(径間収数 4、長さ87,7 メートル) 4、建設してからのあゆみ 碓氷の峻険をこえるため、「ドイツ」の「ハルツ山鉄道」のアプト式を採用して横川、軽井沢間沢間が明治24年から26年にかけて建設されました。その、こう配は1000分の66.7という国鉄最急こう配です。これを昭和38年9月、速度改良のため新線の完成と同時に使用廃止となりました。このアーチ橋は廃止となった構造物の中では最大のものです。すぐれた技術と芸術的な美しさは今、なおその威容を残しております。 |
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旧丸山変電所は明治45年(1912年) 碓氷線 [碓氷線とは、信越本線の横川~軽井沢間の通称]を走る機関車の電化に伴い作られたものです。信越本線は日本の近代化を担う重要な鉄道です。碓氷線は日本で唯一アプト式で、日本一の急勾配で碓氷峠(66,7%)を超えていましたが、遅い速度・低い輸送力・トンネル内での煙などの問題に悩まされていました。これらの問題を解決する為に日本で最初に電化されました。丸山変電所の役割は、変電所から電気を機関車に供給する事でした。昭和 38年(1963年)新線開通に伴い丸山変電所はその役割を終えました。その後、丸山変電所は、日本の近代化に貢献した鉄道施設の様子をよく示すものとしての価値が認めれ、平成6年(1994年)12月27日に国の重要文化財に指定されました。平成14年(2002年)7月に修復工事か完了。 | ||
碓氷湖は、中尾川と碓氷川の合流点をせき止めて造った人工湖(坂本ダム)です~ちょうどモミジも色づいて・・・湖面に映し出される紅葉も素晴らしかったです。湖畔には約1.2キロメートルで、散策道(滑らかな道です)もあり写真を撮りながら約30分ほどで一周出来ました。 | ||
下のカタログはクリックすると大きく見れます。 峠 路 探 訪 |
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遊歩道アプトの道とその周辺 | ||
上野駅から高崎線で高崎駅で信越本線(普通) [横川行き] で横川駅に到着して鉄道文化むら~出入園料+トロッコ列車(片道900-)で峠の湯で降りてからアプトの道を歩く | ||
★横川・めがね橋 ★アプトの道 旧丸山変電所と周辺の紅葉 ★アプトの道 横川駅~めがね橋 ★アプトの道 碓氷湖の紅葉 | ||