四季旅遊の館

鋸山 日本寺 千五百羅漢
日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山。開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られた。
鋸山 日本寺 百尺観音~地獄覗きを見てから ・・・霧の中を長い階段を降りて
 
 
千五百羅漢道へ 西国観音-二天門(通天閣)-座禅石-百躰観音-あせかき不動-甚五郎の墓(大野英令之墓)- 宝筺印塔-日牌堂-奥の院無漏窟-維摩窟-聖徳太子 西国観音 (一法を見ざれば即ち如来 方に名けて観自在を為すことを得たり)
   

 
日本寺 曹洞第九世、高雅愚伝禅師の発願により、上総桜井(現木更津市)の名工、大野甚五郎英令が1779年から1798年に至る21年間、 門弟27名と共に生涯をかけて1,553体の石仏えお刻み、太古よりの風蝕によってできた奇岩霊洞の間に安置し奉ったもの。

通天関(つうてんかん) (巌陜く関を過るが如く 柳面すれば天に登るに似たり)
  
 
百躰観音 (衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 西国・板東・秩父観音を合祀す)
 
あせかき不動 身の罪の重きを恨みたきつせの 不動の力たのむうれしさ 
  
 
大野英令之墓 安永8年当山に上り造仏に生涯をかけた不世出の名工大野甚五郎英令の墓 木更津櫻井出身 
 
 
 宝筐印塔 「宝筐印陀羅尼」 の経文を納めたものです。 鎌倉時代以降、在来の石層塔、多宝塔、宝塔、五輪塔、板碑等と共に流行した一種の石塔婆です。 (無明の実性即仏性 本源自性天真仏 江戸蔵前 大口屋平兵衛 寄進
 
 日牌堂(諸行は無情にして一切空なり 即ち是れ如来の大円覚)
 
 
真心をこめて彫刻された千態万状の尊像は、人間の喜怒哀楽を表現し、一つとして同じ顔がないといわれており語りかけるような豊かな表情と 風雪にさらされて味わいを増した石仏群は驚くべき名作です。 
 
 
奥の院 無漏窟 無上法王の奥 十方の諸仏集まる 
 
 
維摩窟 (不思議解脱の力 妙用恒沙也た極利無し)  維摩窟の上に「聖徳太子」の像・・・ 聖徳太子・・・法中の王 最も高勝 河沙の如来同じく共に証す 
  

 
 
不動滝 (茫々たる宇宙人無数 幾箇の男児が是れ丈夫 )
 
 
弘法大師護摩窟 (弘法の護摩窟 千歳香薫る) 
 
 
 
 日本寺 日本一の大仏さまです。
でかすぎる・・・びっくり 大仏(薬師瑠璃光如来)】 は世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783年)に 大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型になっています。 その後、昭和41年から4カ年にわたって修復されました。 昭和44年,復元工事によって再現した日本寺の本尊に
鋸山日本寺①仁王門~ ★鋸山日本寺 ②大仏~通天窟 ★鋸山日本寺➂百尺観音~地獄覗き ★鋸山日本寺④千五百羅漢  
 

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