鋸山 日本寺 散策 (1)
鋸山(のこぎりやま) 日本寺 ① 仁王門~大仏~通天窟 日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山。開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られた。 
 
 表参道より~仁王門は元禄七年の再建
仁王門は元禄七年の再建。仁王門の偏額「乾坤山(けんこんざん)」は韓国の王族 李埈鎔公の書
慈覚大師作と伝えられる金剛力士像は開口の阿形(あぎょう) 像と、口を結んだ吽形(うんぎょう) 像の 2体を一対として、仁王(二王)の名で親しまれている。
 
観音堂 元禄十三年の建立。 扁額「円通閣」は旗本曽根懶斉の書。 昭和32年に瓦葺に改修されました。安房国札八番の十一面千手観音像が祀られている。
心字池   呑海楼・・・呑海楼は江戸時代の建物で、休祭日に茶屋として公開されている。
 
 
 日本寺本堂・・・・ 日本寺は1300年の長い歴史の中で度重なる戦火による荒廃と復興を繰り返してきました。 近年では昭和14(1939) 年の登山者の過失による山火事により、仏像や本堂を含む建造物など文化財を焼失してしまいました。 その後、すぐに復興計画が立てられましたが第二次世界大戦時に鋸山が軍の要塞となり、当時の復興協力者の死去や資金面、 国定公園指定化などにより復興が遅れ、現在に至っております。 現在、参拝者の寄付および拝観料から復興を進めております。
 
 
 日本寺の鐘(海中出現鐘 国指定重要文化財)
はじめ下野国佐野庄堀籠郷(栃木県佐野市堀米町)の天宝寺(現称天応寺)鐘として寄進され、 六十年を得て、鎌倉五山の一である浄妙寺鐘となりました。 のち江戸湾を渡って日本寺鐘となった歴史的名鐘です。 日本寺に移った時代は不明。 鋳工は、幾多の国宝や重文の茶の湯釜を残した佐野天命(佐野市天明町)の助光です。
 
 
 達磨石・・・・広庭松下の祖 四方面壁の相
大蘇鉄・・・・源頼朝公お手植 樹齢約八百余年
 
 
 薬師本殿(醫王殿)昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成十九年に再建され、長い間仮本堂にあった日本寺の御本尊が移されました。
 
 
 大黒堂 昭和十四年の大火によって焼失された後、復興計画の元、平成十七年に再建された。 弘法大師の彫られたと言い伝えられている・・・大黒尊天が祀られています。(御前立は現代の名工渡辺貞光作)
 
 
通天窟 日本寺曹洞九世高雅愚伝禅師と道元禅師、瑩山禅師を祀る。 「当山中興高雅愚伝禅師 永平総両開山を安置す」と記してあります。 
  
 鋸山 日本寺 大仏参道から 日本一の大仏へ
  
 
お願い地蔵尊 大仏広場に安置され、様々な願いを込められた小さなお地蔵様に取り囲まれています 
 
 
 日本一の大仏さまです でかすぎる・・・びっくり
大仏(薬師瑠璃光如来)】 は世界平和、万世太平を祈願し、天明三年(1783年)に 大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型になっています。 その後、昭和41年から4カ年にわたって修復されました。 昭和44年,復元工事によって再現した日本寺の本尊に・・ 石造の露座の大仏は、総高31.05m,丈21.3mです、 奈良・鎌倉の大仏より大きく、日本最大の仏像(座像)です・・・・
 
 
 


鋸山日本寺
鋸山日本寺 仁王門~大仏~通天窟  
鋸山日本寺 百尺観音~地獄覗き 
③鋸山日本寺 千五百羅漢 


 
四季旅遊の館