四季旅遊の館

関宿城博物館と関宿城本丸跡

関宿城 室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれた~以降から簗田氏の嫡流の関宿簗田家の居城になり。 江戸時代に入ると「関宿藩」となり、江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟が 米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていた。 江戸までの要となった関宿城 関宿城(天守閣)について 近世の関宿藩は、江戸城の外城として重要視され、松平康元(徳川家康異父弟)が1590年(天正18年)に2万石で入城以来、小笠原氏、北条氏、牧野氏、板倉氏、久世氏と代々譜代大名が配置されました。 関宿城の天守閣については、古記録に「寛文十一年辛亥世喜宿…公儀御願相済富士見御櫓之形ヲ以建直ル…」とあり、江戸城の富士見櫓を模して1671年(寛文11年)に再建され、1874年(明治7年)頃取り壊された。 本館の天守閣は、この記録等に基づき現在の皇居内にある富士見櫓を参考に再現したものです。
 
関宿城本丸跡は、関宿城博物館から約500mほど南に下った場所にわずかに残るのみで、明治以降の江戸川改修工事で、大部分か河川の一部となっています。
江戸川沿いの一画に関宿城本丸跡の石碑 関宿の歴史 関宿城の起源は? 長禄元年(1457)には築田氏によって城が築かれていた。 関東平野の中心に位置し、水上交通の要衝である事や乱流する大河を天然の要害とする強固な守りを持つ事から、「この城を手に入れるのは一国を得ると同じ」と称され、戦国時代にはたびたび争奪戦が繰り広げられた。 築田氏による支配は、100年ほど・・・天正2年(1574)に後 北条氏の支配下となり。小田原征伐の際には、豊臣・徳川連合軍の手に落ち、天正18年(1590) 徳川家康の関東移封に際して、家康の実弟である松平康元が、2万石の領地を与えられ関宿藩主として人封します。以後は.板倉氏、牧野氏など江戸幕府でも要職に就く大名が配され、宝永2年(1705)久世重之が人城してからは、明治維新まで久世氏が務めた。 江戸時代の関宿城は本丸、二の丸、三の丸、発端曲輪のほか侍屋敷が置かれ、三層の天守を中心に、多くの建物か築造されていた。明治2年(1869)の藩籍奉還後は、明治政府に管理が移され廃城となり、一部か民間へ払い下げられた。 市内には埋門(市指定有形文化財・東高野)や本丸御殿(実相寺客殿)などが現存しています。また、本丸の3分2が関宿城跡(市指定史跡)として残されています・・・ 関宿城跡地の看板より
関宿城博物館 千葉県立関宿城博物館 千葉県野田市関宿三軒家143-4 定休日/休業日 月曜日(祝日の場合は翌日)・年末(12月26日~12月31日) 東武アーバンパークライン川間駅北口から朝日バス(境町行)32分「関宿城博物館」下車 東武スカイツリーライン(伊勢崎線)東武動物公園駅東口から朝日バス(境車庫行)27分「新町バス停」下車徒歩15分

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