四季旅遊の館

佐原大祭 秋祭り山車の彫刻
 佐原大祭 (秋祭り)・・・ユネスコ無形文化遺産・国指定重要無形民浴文化財佐原祭りは山車のない時代からの祭りで町民は御輿の後を傘鉾や花万燈などで参加していた・・・・・・1715年ごろから佐原は急激な繁栄から経済的に力をつけた各町は山車を造る様になった。時代は移り変わりながら山車や飾り物は変わったものも300年の間も引き継がれて現在でも七月と十月に行われて日本三大ばやし「佐原ばやし」の調べに乗り山車が曳き廻されています。
 
小野道風[新橋本] ①明治27年(1894年) ②明治4年(1871年) ③雲 龍(うんりゅう) ④野田芸座連⑤額の文字「雲龍」は小野追風真蹟と伝えられている。
  
 
◆小楠公(楠木正行)[下分] ①明治28年(1895年) ②昭和10年(1935年) ③下 分(しもわけ) ④潮来芸座連⑤飾り物は四条畷の合戦の際、如意輪寺の壁に矢尻で辞世の句を書きつける楠木正行の姿。
  
 
◆神武天皇[仲川岸]①明治31年(1898年) ②明治31年(1898年) ③博如天(ひろきことてんのごとし)④佐原囃子連中 ⑤三方正面造りの山車で、通し柱8本で製作。材料の禅(けやき)は九州の玉目の一本取り。  
  
関東三大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有する。日本三大囃子「佐原囃子」の音を町中に響かせながら、小江戸と呼ばれる町並み(国選定重要伝統的建造物群保存地区)の中を家々の軒先をかすめながら進むさまは風情たっぷりで、江戸時代の情景を彷彿とさせる。自慢の山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって製作された高さ4mにも及ぶ大人形などが乗る。諏訪神社の祭礼である秋祭りは、新宿地区を13台の山車が曳き廻され、あちこちで勇壮にして華やかな曲曳き「のの字廻し」などが披露された。「のの字廻し」は重さ3~4トン、高さ7mにも及ぶ山車を向って左前の車輪を軸として、筆で「の」の字を書くように数回転させるもので迫力満点。山車上部の大人形があたかも能を舞うが如く、ゆっくり回転させることが上手とされている。
 
 
牛天神[新上川岸]①明治45年(1912年) ②江戸後期 ③上河岸(うわがし) ④潮風囃子連⑤蕨手の彫り物は、保元・平治の乱で功を立て、剃髪して源三位入道と名のった源頼政の図柄。
  
浦嶋太郎[下新町]①明治8年(1875年) ②明治32年(1899年) ③誠 意(せいい) ④分内野下座連⑤飾り物は、山中の戦いの中で、岩を弓で砕き水を出した故事による。
 
◆日本武尊[北横宿]①明治8年(1875年) ②明治8年(1875年) ③愛 國(あいこく) ④源囃子連中⑤総禅(けやき)造りの山車。彫刻は木彫りとは思えない立体感と生命力に溢れている。
瓊々杵尊(ニニギノミコト) 天照大御神の孫 天孫降臨 【町内名】西関戸) 【飾り物】 三種の神器を携え、降臨する瓊々杵尊 天照大御神の孫であり、天孫降臨神話の主役の神。 【人形製作年】昭和15年(1940年) 【人形制作者】鼠屋(伝承) 【山車製作年】昭和15年(1940年) 【額】神威赫奕 明治神宮の宮司(元海軍大将)有馬良橋氏の筆による 【下座連】雄風會 【彫刻】4代目石川藤吉朝光 【彫刻図柄】龍 唐子 獅子群遊
 
 
 
大楠公  楠木正成 勤王 【町内名】東関戸 【飾り物】桜井の別れの楠正成 戦死を悟った父、息子との別れの場面 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将 【人形製作年】昭和10年(1935年) 【人形制作者】大柴護豊 【山車製作年】昭和10年(1935年) 【額】純正(じゅんせい)陸軍大将の荒木貞夫の筆による 【下座連】東関戸連中 【彫刻】金子光清・池田信之・北沢一京、秀太  
 
 
源頼義[下宿}  【飾り物】山中の戦いの中で、岩を弓で砕き水を出したという故事による 【人形製作年】明治32年(1899年) 【人形制作者】古川長延 【山車製作年】明治8年(1875年) 【額】誠意(せいい) 【下座連】分内野下座連 【彫刻】石川三之介 後藤源兵衛 左重吉 後藤桂林 
 
建速素蓋嗚尊[下川岸]①明冶31年(1898年) ②江戸後期 ③宏 遠(こうえん) ④清水芸座連⑤山車は「八方にらみ」といわれる形で四方向のどちらから見ても同じ様に見える。
 
 
神武天皇[仲川岸]①明治31年(1898年) ②明治31年(1898年) ③博如天(ひろきことてんのごとし)④佐原囃子連中 ⑤三方正面造りの山車で、通し柱8本で製作。材料の禅(けやき)は九州の玉目の一本取り。 
  
◆諏訪大神 [上新町]①昭和11年(1936年) ②昭和11年(1936年) ③敬 神(けいしん) ④鹿嶋芸座連⑤大榊を飾り、八昶鏡(やたのかがみ)の両側に旗などが置かれている。
  
 
鎮西八郎為朝【上中宿]①嘉永5年(1852年) ②明治15年(1882年) ③富士山の彫刻 ④和楽会⑤彫り物は「柱隠し」といわれる技法で富士の裾野での巻き狩りの様子か回っており、柱をうまく隠している。 
 
 
◆源義経[上宿]①昭和53年(1978年) ②昭和55年(1980年) ③智 勇(ちゅう) ④寺宿囃子連⑤壇ノ浦での源平の戦いでの勇姿をかたどっている。  
  


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