四季旅遊の館

千姫ゆかりの弘経寺~逆井城跡~関宿城
弘経寺
千姫さまお墓
逆井城
関宿城


千姫のゆかりの弘経寺の彼岸花。 彼岸花は見頃になっていました・・・ いつものより少し少ない感じです。 弘経寺は、正式には「寿亀山天樹院弘経寺」と称し、応永21年(1414年)嘆誉良肇上人によって創建 家康の孫娘である千姫のゆかりの寺として知られています。 山門を入ってすぐ・・・参道沿い、杉木立の中など閑静な雰囲気の境内のところどころに咲いています。
 
徳川家の千姫ゆかりの菩提寺。 千姫のお墓・・・ 徳川家の千姫ゆかりの菩提寺、お寺のあちこちに三つ葉葵の御紋があります。 千姫のお墓・・・ 正面入口の向拝や扉は、文化6年(1809年)に描かれた「寿亀山元建図」になる境内配置図が残されており、 本堂が改修され付け加えられたものらしいです。江戸後期の建築様式が表れています。 弘経寺 茨城県常総市豊岡町甲1 電車:常磐線取手駅乗換え、常総線水海道駅下車 タクシーにて約10分 車 : 常磐道「谷和原IC」より車で約25分です。
 
 
逆井城(さかさいじょう)逆井常宗によって築かれた城、今から400年以上前の戦国時代末期(1577年)に落城後北条氏によって大規模に築城しなおされ、 として築城され前の遺構と後の北条氏時代の遺構が重なっています。はじめの逆井常宗時代の城を逆井古城、後の北条時代の城を飯沼城ともいう。 1590年(天正18年)、豊臣秀吉が小田原征伐により廃墟となったが、現在でも外堀と土塁が残っています。 発掘調査を元に、櫓門、橋、塀、主殿、二層櫓などが復元され、戦国時代のおもかげを残しています。 現在では逆井城跡公園として整備されており、二層櫓や土塀などが発掘調査に基づき忠実に復元されています。 二層櫓の案内板には 二層櫓は、戦国時代末期の時代背景を基に、外観二層の容姿をもつ戦国期の櫓を復 元したものです。近世の隅櫓ではない時代を感じる櫓として、6M四方の面積を持ち、 入母屋の望楼に下見板張り等の外壁によって当時の景観を再現しています。 ●建築面積/64.39平米 ●構造/木造 ●外壁/土壁・日本下見張 ●軒裏/杉板目 ●屋根/木葺風銅板 ●床面績/82.2平米 ●最高の高さ/10.592m ●最高の軒高さ/8.47m 二層櫓の中に 無料で中へ入れます。
 
 

 逆井城跡公園 茨城県坂東市逆井1262番地 開館時間 午前9時~午後4時まで 休館日 毎週月曜日・その他臨時休館有 但し、櫓や主殿、井楼櫓等に入れないだけで、公園内は随時開放されています。 アクセス バスの場合 高速バス・東京駅南八重洲口(岩井・猿島行)→ 猿島バスターミナル 約100分 ※猿島バスターミナルからは坂東号又はタクシー。 関東鉄道・つくばエクスプレス守谷駅西口(岩井・猿島行)→ 猿島バスターミナル 約35分 ※猿島バスターミナルからは坂東号又はタクシー。 ◆坂東号(月・水・金のみ運行)の時刻表・猿島バスターミナル → 逆井城跡公園(9:39) (13:29) (15:24) 逆井城跡公園 → 猿島バスターミナル(8:01) (11:48) (17:53) 車の場合・常磐自動車道 谷和原インターを降りて、常総市、坂東市方面に向かい1時間程度・東北自動車道久喜インターを降りて、古河、坂東市方面に向かい1時間程度
 県立関宿城博物館と関宿城本丸跡 関宿城 室町時代に簗田満助または簗田成助によって築かれた~以降から簗田氏の嫡流の関宿簗田家の居城になった。 江戸時代に入ると「関宿藩」となり、江戸まで利根川や江戸川をたくさんの舟が 米、醤油、みりん、紬など積んで行き交い、水運の要として、関宿が重要な役割を果たしていた。 江戸までの要となった関宿城 関宿城(天守閣)について 近世の関宿藩は、江戸城の外城として重要視され、松平康元(徳川家康異父弟)が1590年(天正18年)に2万石で入城以来、小笠原氏、北条氏、牧野氏、板倉氏、久世氏と代々譜代大名が配置されました。 関宿城の天守閣については、古記録に「寛文十一年辛亥世喜宿…公儀御願相済富士見御櫓之形ヲ以建直ル…」とあり、江戸城の富士見櫓を模して1671年(寛文11年)に再建され、1874年(明治7年)頃取り壊されたそうです。 本館の天守閣は、この記録等に基づき現在の皇居内にある富士見櫓を参考に再現したものです。

 
 
 関宿城本丸跡は、現在地から約500mほど南に下った場所にわずかに残るのみで、明治以降の江戸川改修工事で、大部分か河川の一部となっています。 ・・・江戸川沿いの一画に関宿城本丸跡の石碑 関宿の歴史 関宿城の起源は? 長禄元年(1457)には築田氏によって城が築かれていた。 関東平野の中心に位置し、水上交通の要衝である事や乱流する大河を天然の要害とする強固な守りを持つ事から、「この城を手に入れるのは一国を得ると同じ」と称され、戦国時代にはたびたび争奪戦が繰り広げられた。 築田氏による支配は、100年ほど・・・天正2年(1574)に後 北条氏の支配下となり。小田原征伐の際には、豊臣・徳川連合軍の手に落ち、天正18年(1590) 徳川家康の関東移封に際して、家康の実弟である松平康元が、2万石の領地を与えられ関宿藩主として人封します。以後は.板倉氏、牧野氏など江戸幕府でも要職に就く大名が配され、宝永2年(1705)久世重之が人城してからは、明治維新まで久世氏が務めた。 江戸時代の関宿城は本丸、二の丸、三の丸、発端曲輪のほか侍屋敷が置かれ、三層の天守を中心に、多くの建物か築造されていた。明治2年(1869)の藩籍奉還後は、明治政府に管理が移され廃城となり、一部か民間へ払い下げられた。 市内には埋門(市指定有形文化財・東高野)や本丸御殿(実相寺客殿)などが現存しています。また、本丸の3分2が関宿城跡(市指定史跡)として残されています・・・ 関宿城跡地の看板より 関宿城の跡地からの関宿城博物館 関宿城博物館 千葉県立関宿城博物館
 
 千葉県野田市関宿三軒家143-4 定休日/休業日 月曜日(祝日の場合は翌日)・年末(12月26日~12月31日) 東武アーバンパークライン川間駅北口から朝日バス(境町行)32分「関宿城博物館」下車 東武スカイツリーライン(伊勢崎線)東武動物公園駅東口から朝日バス(境車庫行)27分「新町バス停」下車徒歩15分
 


 
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