常陸国総社宮例大祭
石岡のおまつり

常陸国総社宮例大祭 ・ 石岡のおまつり
茨城県を代表するこの祭りは近世以降に様々な要素が加わり、今日まで発展してきました。延享年間(1744~47)頃には奉納相撲が始まり、現在でも茨城県高等学校相撲選手権大会として続けられています。また、江戸時代後期に府中(現石岡市旧市街)の愛宕祭や天王祭を賑わせた冨田町のささら、土橋町の大獅子など様々な風流物が、近代になると總社宮の例大祭へ移行しました。さらに富裕な商人層が贅を凝らした山車を取り入れ、御分霊をお遷しする菊花紋の大神輿とそれに供奉する行列が整えられ、現在見られる祭りとなったのです。地域を挙げて祝われるため[石岡のおまつり]とも呼ばれる例大祭の賑わいは、今や市民が ̄関東三大祭」と豪語するほどになりました、石岡囃子(茨城県無形民俗文化財)を奏でながら練り歩く風流物は、石岡市のシンボルでもあり、全国から数十万人もの観光客が訪れます。
御分霊を運ぶ神輿は2種類。總社宮と御仮殿を往復する大神輿と、奉祝祭で渡御する明神神輿です、十六弁菊花紋を施した大神輿は青木町の棟梁・小井戸彦五郎が明治30年に製作。台輪寸法4尺、重さは1トンに、  年番町が集めた若人約200 人で担ぐ。平成9年に栃木県石橋町の神輿師・小川政次により修復された。 明神神輿は大神輿より一回り小さく、總社宮を篤く崇敬する神輿会で「總社明神会」が主導して奉祝祭で渡御し、獅子舞行列と合流して町内を練り歩きます。


 
幌 獅 子
獅子舞は全国的にあるが、石岡の獅子は「幌獅子」と呼ばれ、大きな獅子頭に囃子衆 が乗りこむ移動式の小屋が付随した珍しいものです。小屋は通常幅2m、奥行5m、高さ2.5mほどの大きさ.獅子頭は大きいもの亀では幅60cm、重さ30kgにも達し、て舞いながら練り歩きます。
 山車は移動式の屋台で、地域によってダンジリ、屋台、山鉾などとも呼ばれる。石岡の山車 はいわゆる江戸型で、屋根のない2~3層構造で。最上層には町内ごとに異なる2mもの人形 が飾られ、巡行時は「人形守」が、刺股を駆使して障害物を避けながら進みます。人形は神武天皇や八幡太郎など、歴史上の英雄を象ったものがほとんどです。
 
 囃子連は、大太鼓(長胴) ・小太鼓(〆太鼓)・笛・鉦と踊り手で編成されます。曲目は山車巡行の出発と終了時に奏でられる。踊りなしの曲「さんぎり」の他、おかめ(四丁目)・ひょっとこ(仁羽)・きつね(新馬)があります。おかめは女性らしい仕草に合った、 ゆったりとした曲調の演目。ひょっとこは「大笑」・「一文字」・「べろ出し」など、滑稽な面とふるまい、リズミカルな曲調。きつねは最もテンポが速く、大切り、中切り、乱拍子と変化に富み、勇壮な踊りが特徴です。いずれも2人、3人と踊り手が複数登場することもあり、町内によって得意な演目や見せ場が異なります
 
 冨田町の「 ささら」(茨城県指定無形民俗 文化財) 三匹の人型の獅子が屋台上で踊りながら移動する冨田町の「ささら」は全町唯一の風流物で、供奉行列の先頭をつとめる。 紺地に八腿、烏を染 め抜いた幕が張られた移動式の屋台上で、棒を操る三匹の獅子舞が演じられます。その歴史は古く。「七度半の迎え」を受けねば登場しないと言われるほど、格式高い出し物です。三匹はそれぞれ老獅子・若獅子・女獅子で全体が黒漆で塗られ、目と歯には金箔を施し、咽頭部には軍鶏の羽根で覆われて.いる。
 



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