四季旅遊の館 我孫子情報

我孫子 白樺派の散歩道と街並み観光
 
茨城との県境にある我孫子は白樺派の文人をはじめ、数多くの文化人が居を構え、別荘を持った場所としても知られ「北の鎌倉」と称された事もありました。今回は緊急事態宣言で遠出は出来ないので、運動にはちょうど良い距離でしたのでアビスタインフォメーションから頂いた「白樺派の散歩道と水辺の町並みコースMAP」を基準に歩いてみました。
 
  我孫子駅~ (1)飯泉喜雄顕彰碑~ (2)停車場道碑~ (3)けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)(4)蚕霊塔~ (5)山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡~ (6)我孫子宿本陣跡~ (7) 旧我孫子宿名邸~ (8)主子の神道標・従是子神道~ (9)香取神社~ (10)天神坂~ (11)柳宗悦邸跡~ (12)嘉納治五郎別荘跡~ (13)楚人冠公園~ (14)杉村楚人冠記念館~ (15)ハケの道~(16)我孫子市白樺文学館~ (17)志賀直哉邸跡~ (18)旧村川別荘~ (19)子の神大黒天~ (20)親水広場・水の館~ (21)鳥の博物館~ (22)山階鳥類研究所~ (23)文学の広場~ (24)血脇守之助謝恩の碑~ (25)バーナード・リーチ碑~ (26)手賀沼公園・平和の記念碑~ (27)ご江間の渡し~ (28)中勘助仮寓跡~ (29)旧武者小路実篤邸跡 22545歩でした。
 
我孫子駅前の「我孫子市ゆかりの文化人」~
 

 
 (1)飯泉喜雄顕彰碑~飯泉喜雄は「鉄道なくして町の発展はない」こ考え、日本鉄道会社に我孫子駅用地を無償提供して土浦線(現JR常磐線)を誘致した。明治29   (1896)12月開通。平成15年、有志130名余からの寄付により顕彰碑を建立。この顕彰碑は開通時に投入された蒸気機関車6600型を模した。
 
 
 (2)停車場道碑~明治35 (1902)年頃建立。第8代町長に就任した飯泉喜雄が駅前の整備に尽力
 
 
(3)けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)
千葉県と我孫子市の複合施設です。11階の展望スペースからは市内のまちなみや手賀沼のほか、茨城県側や柏市などの遠景が望めます。
 
 
 
イトーヨーカ堂( 元山一林組製糸工場がありました)・・・横に蚕霊塔があります。
(4)蚕霊塔~ 蚕の供養塔
 
 
 

(5)公園も・・・山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡~ 
現イトーヨーカ堂&公園一帯 明治39 (1906)年建設。最多時女工は380名余、生糸生産量は年産5000貫(約19t)。昭和1 1    (1936)年石橋生糸株式会社となり、昭和60(1985)年まで操業した。
山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡の看板 

 
 
(6)我孫子宿本陣跡~ 看板がありました。
(7) 旧我孫子宿名邸~
小熊甚左衛門の屋敷。小熊家は享保20 (1735)年から明治に至るまで、名主を勤めた。
 
 
 
(8)子の神道標・従是子神道
寛政元(1789)年建立。子の神大黒天の参道「子の神道」の分岐点を示寸
 
 
 
(9)香取神社~創建は享保年間(1716~1735年)
香取信仰の流れを汲み経津主命を奉斎。水戸道中我孫子宿の鎮守として崇敬されてきた。
 
 
(10)天神坂~天神坂は我孫子のシンボルで手賀沼の美しい景色に惹かれ、多くの偉人がこの地に別荘を構えた~その別荘地へと向かう坂道 
(11)柳宗悦邸跡~天神坂の西側には、柳宗悦・兼子夫妻の住居跡があり、3本のスダジイの巨木がある事から、叔父の嘉納治五郎が三樹荘と命名しました。
 
(12)天神山緑地(嘉納治五郎別荘跡~)
天神坂上の東側にある高台の土地は、講道館柔道の創始者の嘉納治五郎が、明治44年に別荘に。現在は緑地になっています。
嘉納治五郎の銅像 我孫子市ゆかりの柔道家 嘉納治五郎の銅像、別荘跡地に建立された。
天神山緑地(嘉納治五郎別荘跡~)からの手賀沼
 
 
(13)楚人冠公園~ 杉村楚人冠を記念して設けられた 
 
 
 (14)杉村楚人冠記念館~
明治から昭和にかけて東京朝日新聞で活躍したジャーナリスト杉村楚人冠の邸宅。
手賀沼の風景を愛した楚人冠は大正13(1924)年にこの邸宅を建て一家で移住、亡くなる昭和20 (1945)年まで暮らす。
杉村楚人冠記念館は、母屋、茶室、澤の家、蔵の4棟からなっています。
・・・澤の家(楚人冠母堂居宅)・・・
杉村楚人冠の下の池

 
 
(15)白樺派の小径(ハケの道)
白樺派の柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤たちが暮らし、彼らも歩いたハケの道です。
 
 
 
(16)我孫子市白樺文学館(大人300:円、高大生200円、小中生100円、月曜日休館。佐野力氏が設立し、市に寄贈。白樺文学館明治43 (1910)年に創刊された雑誌「白樺」を中心に展開された新しい文芸活動「白樺派」の資料館。中心人物である柳宗悦。志賀直哉、武者小路実篤らに縁のある品物を展示しています。アルト声楽家でもあった兼子が使用したピアノの演奏も定期的に開催されています。
 
 

(17)志賀直哉邸跡~
大正4  (1915)年から同12年まで過ごす。武者小路実篤などと文芸雑誌「白樺」を刊行。「和解」「暗夜行路(前編)」「小僧の神様」などの代表作を書き、小説の神様といわれた・・・
復元した書斎が移築。

 
 

(18)旧村川別荘~旧村川別荘(月曜日休館) 東京帝国大学教授(西洋古代史)旧村川別荘西洋古代史学者 村川堅固・堅太郎親子が大正時代に別荘として利用していました。

村川堅固が大正10(1921 )年に我孫子宿本陣の離れ屋を購入、移築して母屋に
季節のイベントを開催しています。

昭和3   (19 2 8)年に朝鮮式とされる新館を建てる。
子息・堅大も東京大学教授。陶芸家バーナード・リーチ設計の三角椅子を展示されている。

富士山も見え、ダイヤモンド富士が見れます。 

 
 

(19)子の神大黒天延寿院~ 

子の神大黒天は、ネズミを使徒とする大黒天を祀っています。伝説によると源頼朝が脚気にかかると夢に白ネズミに乗った翁が現れ、柊で足を祓うと治ったといわれています。腰下の疾患に霊験ありといわれ遠近より参詣者で賑わったといわれています。10月に柴燈護摩・火渡りの行事がある。新四国相馬八十八カ所霊場38・43番札所 
 
★ブリキ草鞋を奉納。 特に腰から下の疾患に対してご利益がある。
「金のわらじ」と「二つの名器」(性器崇拝・子授け祈願)が鎮座している。
脚腰の象徴である「わらじ」に願をかけつつ、たくさんの「金のわらじ」が境内に奉納されている。
    
★一基の前方後円墳と十三基の円墳からなる群集墳で、六世紀初頭から末にかけて造られたものである。
 

 
 
 (20)鳥の博物館~(大人300円、高大生200円、小中学生100円、70歳以上無料、月曜日休館。祝日の場合は、次の平日が休館) 平成2  (1990)年に日本唯一の鳥類専門の博物館として開館。
  鳥の博物館は「人と鳥の共存をめざして」をテーマに数々の貴重な資料を展示 常設展示「世界の鳥」定期的に企画展が開催され、参加型のイベントも
 
 
(21)山階鳥類研究所~ 見学は毎月第4金曜日、要予約
故山階芳麿博士が建てた山階鳥類標 本館が前身。昭和59年(1984) に東京都渋谷区から我孫子市へ移転。わが国唯一の民間鳥類専門研究機関。標本7万点、図書4万点。
 
 
 
 
(22)手賀沼親水広場・水の館~開館時間:午前9時から午後5時 閉館日:毎月第4水曜日(第4水曜日が祝日にあたる場合は第3水曜日)、年末年始(12月29日から1月4日まで)平成3   (1991)年開催 水に親しむ機会を通して手賀沼の水環境保全の大切さを皆さんに感じていただく事を目的とした施設。農産物直売所や飲食等の施設 

 
 
  手賀沼を親水公園前のカッパ像・手賀沼大橋
 
  手賀沼遊歩道
 
  (23)文学の広場~工事中でした。
我孫子ゆかりの人々(嘉納治五郎ご柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤なご)の紹介碑。斎藤茂吉の歌碑。
 
 
手賀沼 ゆかりの文人たち
大正時代、手賀沼の畔には多くの作家や文化人がらし、名作生み出した。沼近くに別荘をもった柔道家の嘉納治五郎にみちびかり、白樺派の柳宗悦、志賀直哉、むしゃこ武者小路實篤がつぎつぎに移り住み、語り合い、思索を深め、創作に励んだ。陶工のバーナード・リーチや「銀の匙」の中勘助、「無限抱擁」の瀧井幸作も作品を残している。ジャーナリストの杉村楚人冠も「湖畔吟」などの随筆を発表し、手賀沼の風物を全国に紹介した。
 
 

(24)血脇守之助謝恩の碑~ 
血脇守之助は我孫子宿旅館「かど屋」加藤家に生まれた。高山歯科医学院に学び、後に同院の経営を継ぎ、東京歯科大学に発展させた。
 
 
 
(25)バーナード・リーチ碑~明治42  (1909)年に来日。後、六代目尾形乾山の門下となる。大正5  (1916)年から同8年までおよそ3年間、柳宗悦邸内に窯を築き、作品を残す。 
 
 
 我孫子公園 アビスタ ミニSL 手賀沼に面した開放感のある公園。
ベンチや東屋があリ休憩をしながら市の鳥 オオバンなど、水辺の鳥を通年観察する事ができる。白鳥の貸しボート屋や、土日はミニSLが走るなど親子連れにも人気です。
 
 
 
 (26)手賀沼公園・平和の記念碑~ 
我孫子市は恒久平和を願い平和都市宣言をし、被爆した広島市庁舎の側壁と敷石を譲り受けた。 昭和61年8月6日、平和の記念碑を建立
 


 
 
(27)ご江間の渡し~手賀沼 公園の西端、湖上園の前に風早村~我孫子町を結ぶ県営渡船場(昭和 28 ~ 39 年)があった。その船、中秋丸は村長・町長の名前からつけられた。 この県営事業以前に、高嶋家の南(竹山附近)に 五江間の渡しがあった。 
 
(28)中勘助仮寓跡~ (非公開)
中勘助は夏目漱石の門下。1920(大正9)年から1923(大正12)年まで高嶋家に仮寓。「沼のほとり」「提婆達多」「犬」などの作品を残す。代表作は1913(大正2)年発表の「銀の匙」朝日文化賞を受賞。敷地内は非公開
 
 
(29)旧武者小路実篤邸跡(非公開)
我孫子市船戸地区にあり~武者小路実篤は、白樺派の創始者で、大正5年(1916年)~7年(1918年)に我孫子に居住し、志賀直哉や柳宋悦などと交流、ここで「大和武尊」「AとB」などを執筆しました。
 
   
 
 我孫子白樺派の散歩道とまちなみ(1) 我孫子駅~主子の神道標
(1)飯泉喜雄顕彰碑~ (2)停車場道碑~ (3)けやきプラザ・右側 アビシルベ(我孫子インフォメーションセンター)(4)蚕霊塔~ (5)山一林組製糸工場跡及び石橋製糸工場跡~ (6)我孫子宿本陣跡~ (7) 旧我孫子宿名邸~ (8)主子の神道標・従是子神道
我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(2) 香取神社~杉村楚人冠記念
(9)香取神社~ (10)天神坂~ (11)柳宗悦邸跡~ (12)嘉納治五郎別荘跡~ (13)楚人冠公園~ (14)杉村楚人冠記念館
我孫子 白樺派の散歩道とまちなみ(3) 白樺文学館~子の神大黒天
(15)我孫子市白樺文学館~(16)ハケの道~ (17)志賀直哉邸跡~ (18)旧村川別荘~ (19)子の神大黒天
❹我孫子 白樺派 散歩道とまちなみ(4) 鳥の博物館~旧武者小路実篤邸跡
(20)鳥の博物館~ (21)親水広場・水の館~ (22)山階鳥類研究所~ (23)文学の広場~ (24)血脇守之助謝恩の碑~ (25)バーナード・リーチ碑~ (26)手賀沼公園・平和の記念碑~ (27)ご江間の渡し~ (28)中勘助仮寓跡~ (29)旧武者小路実篤邸跡
 
 

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