映画看板師「久保板観」青梅キネマ、青梅セントラルの専属絵師となり、最盛期には1日1枚の割で映画看板を描き続けいたが・・・昭和48年、テレビ等の影響で映画産業そのものが斜陽となり、青梅にあった三件の映画館がその灯火を消し、映画看板絵師もその職を失った。生業として「久保看板店」を起業。平成5年(1993)「青梅宿アートフェスティバル」で、19年ぶりに映画看板を描いたのを機に、板観の映画看板は再び青梅商店街を飾った。平成12年9月、昭和レトロ商品博物館内に、「板観・映画看板の部屋」を併設。今日まで描いた映画看板の総数は三千枚とも四千枚とも |