二木屋のひな祭り 二木屋(日本国登録有形文化財) |
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・・・・二木屋のひな祭り・・・・・さいたま市中央区大戸4-14-2 JR京浜東北線「北浦和」西口徒歩10分 埼玉・北浦和の二木屋のひな祭りを見に行ってきました。二木屋は沢山のお雛様を見て頂く為に、ひな祭りの時期は半分、お店を閉めて、お雛様を飾っています。埼玉は雛ののふるさとだから町おこしの一環で、そんな取り組みを初めて十年、ひなの縁に結ばれて雛が雛を呼んで、日本で一番大きな古今雛などが飾られ、見ごたえのあるお雛様が飾られていました。(江戸時代の享保雛や古今雛、御殿雛、特色豊かな郷土玩具など・・・今年も高さ74cmの日本一大きなお雛様<江戸時代・古今雛が公開されていました。) :玄関庭に入ってすぐに、雨・風にも負けず~たくさんの陶器のお雛様たちを飾り、そして従業員の皆様に親切に迎えて頂き見学しました。まず最初に特色豊かな郷土玩具の雛飾りが飾ってあり、そして江戸時代の享保雛や古今雛、御殿雛、ひな天神(おとこの子に天神)、高さ74cmの日本一大きなお雛様・・・ |
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江戸の雛 日本一の古今雛 高さ74cm |
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最大クラスの享保雛 |
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雛の歴史、意味と形 | ||
●[桃の節供]は「上巳(じょうし)の節供」といいます。上巳とは、暦三月の上旬の巳の日のこと。この日こ水辺で足を洗い厄を落とした中国の習慣が、平安時代に日本に定着しました。また日本には、「ひとがた」を作り自分の身代りとして川に流すという民間信仰がありました。これらが厄除け・邪気払いなど『信仰の雛』の起源です。 ●同じ平安時代、源氏物語には「ひゐな遊び」という言葉が出てきます。「ひゐな」とは鳥の雛のように小さくて可愛いものという意味です。これが『愛玩・人形遊びの雛』の起源です。 ●乱世が終わり江戸時代になると、雛人形も成熱度を増し、立錐は坐雛(すわりびな)に、紙雛は裂雛(きれびな)にと、芸術的にも技術的にも、次々と優れたものが登場しはじめます二れらは『観賞用の雛』として発展していきます。一方、武家や公家からはじまった観賞用の立派な雛を庶民が模して、紙や土でこしらえた郷土玩具の雛も全国中にひろがります。 ●競い合いながら形を道化させた雛の歴史。京都から「享保雛」や「次郎左衛門雛」が登場し、江戸からは負けじと「古今雛」が登場します。また、江戸は五人囃子、京都は三人官女。関東は段釣りが流行り、関西は御殿飾りが流行る…。古今東西の変遷も雛の見どころです。 |
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お雛様の起源 | ||
●天児(あまかつ)と道子(ほうこ)平安時代、乳幼児の生死は人間の力が及ばない範囲が大きく、子供が無事に成長するのが親の悲願でした。幼児を災いから守る人形、大兄と道子は日本人形の原点です。 ○大児(左)は、産着などを着せて、乳児や災厄の身代わりとしました。これは一般的に上流階級に伝わりました。 ○道子(右)は、幼児が這い這いする姿に出来し、民間にも普及したもので、抱人形として子供たちが遊んだりしました。今に伝わる「さるぼぼ」と同じ形をしています。 |
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雛の変容 | ||
●最初は立雛から上をコロコロと丸めて頭をつくり棒に差す。それに紙の衣装を着せていく。この単純な形が雛人形の原形です。この立雛が坐難へ、紙雛から裂雛へと進化し、今の七言さまの形になっていきます。
●寛永雛 起源は、三代将軍・家光の活躍した寛永時代(寛永1624年~)です。女雛は袴を着け、袖を左右に大きく広げています。髪の毛はなく塗られていて、男雛は冠と頭が一体化してつくられています。 ●元禄雛 寛永雛が生首の原型で、この発展形が元禄雛です。(元禄1688年~)ですんだいに技巧も加えられるようになり、数も多く作られるようになりました。元禄時代は政治も安定し経済力のある町人を背景に日本独自の文化が育った時代です。 |
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●享保雛 | ||
享保(1716年~)から寛政にかけて、雛人形格段に進化します。またサイズも大型化し40 cmを超えるものも作られます。能面のような美しい顔立ちで、手足の細工も細やかになり、衣装は豪華になっていきました。男雛は太刀を持ち、冠をかぶっています。:女雛は天冠をかぶるようになり、桧扇を持ちました。 | ||
●次郎左衛門雛 | ||
雛人形の世界に忽然と現れた高級で個性的な雛人形が、京都の人形師・雛屋岡田次郎左衛門が創作した次郎左衛門雛です。宝暦11年(1761年バこ江戸の日本橋に進出すると、江戸の裕福な人別こ魅了されました。今までの能面のような享保雄とは打って変わって、「引目、鈎鼻」のお顔は、京の人の雅を醸していて魅力的だったのでしょう。今でも大大名のお雛さまには、決まってこの次郎左衛門雛がコレクションされています。 |
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●古今雛 | ||
京で生まれた次郎左衛門雛は江戸の人形師を大いに刺激しました。上野池之端の人形問屋・大槌屋が、次郎左衛門雛に対抗する江戸の雛をと、日本橋十軒店の職人・原舟月に作らせたのが写実的な美しさを持つ古今雛です。時代は明和年間です。(1764年~)原舟月は江戸の町の一世を風扉し、その妬みからあらぬ悪評を飛ばさ牡江戸追放になりますが、2代3代と舟月は受け継がれ、現代の親王雛の原型になりました。古今雛の流行は京都にも飛び火し、京風の古今雛も大流行します。この一対は、江戸後期の雛で、典型的な京のお顔の今古雛です。 |
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日本国登録有形文化財・二木屋のパンフレットから・・・・・・・・・・・・・・・ 特色豊かな郷土玩具など・雛土鈴・紙のひな うすき雛・土人形の雛・石のひな・布のひな・うるしのひな・,張子のひな 犬張子・土人形の雛 高松で102歳まで活躍された宮内フサさんのお人形・狆き官女・・・犬の狆(ちん)を引いている官女・江戸木目込みの段飾り 裃雛 (かみしもびな) ・元禄雛 最も古い お犬様は雛の守り神 ,ひな天神(おとこの子に天神)・ 珍しい お多福官女・高さ74cmの日本一大きなお雛様<江戸時代・古今雛・犬バコは 雛の守護神 |
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